浄土寺に行きました

境内

浄土寺境内(右の建物が浄土堂)

兵庫県小野市にある「極楽山 浄土寺」は、鎌倉時代のはじめ、東大寺の再建工事が始められた際、大勧進職(最高責任者)となった重源上人によって大部荘(現在の兵庫県小野市一帯にあった東大寺領荘園)に開かれた寺院です。

多数の文化財を有する古刹として知られ、大仏様(天竺様)建築の浄土堂と仏師快慶の大作「阿弥陀三尊像」は特に有名です。

境内には、国宝の浄土堂をはじめ、薬師堂、八幡神社拝殿・本殿、開山堂、鐘楼といった国や県の重要文化財が建ち並んでいます。


浄土堂(阿弥陀堂)

浄土堂(阿弥陀堂)

浄土堂(阿弥陀堂)は、東大寺南大門とともに全国に2つしかない大仏様(天竺様)という特異な様式でつくられていて、かけがえのない大切な建物として国宝に指定されています。

浄土堂は、創建の建久3年(1192年)から昭和32年まで約770年間一度も解体されずに風雪に耐えてきましたが、昭和32年~34年の解体修理によって創建当初の美しい姿に復原されました。

外部は、通常のお堂よりも柱間が広いくらいで、それほど特別なものとは思えませんが、内部は、天井を張らずに化粧屋根裏を高いところまで見せ、その屋根裏に届かんばかりに阿弥陀三尊の立像を安置するという、まさに「仏像を安置するための特別な空間」となっています。

阿弥陀三尊(パンフレット)

阿弥陀三尊(浄土寺パンフレットより)

堂内には、阿弥陀如来(お丈530cm 総丈830cm)・観音菩薩(お丈370cm)・勢至菩薩(お丈370cm)の3躯の立像が安置されています。鎌倉初期の名仏師快慶の作で、いずれも国宝に指定されています。

阿弥陀如来と両脇侍立像の背面(西側)には透かし蔀戸(上写真の浄土堂の左側面)が設けられ、そこからさし込む西陽が堂内全体をを朱赤に輝くように染め、雲座の上に位置する三尊像を西方浄土より飛雲に乗って来迎する姿として浮かび上がらせるという劇的な光の演出のしかけを備えています。

とにかく、浄土堂はとても素晴らしかったです。天竺様の造作や快慶作の阿弥陀三尊像を見られただけでも大感激ですが、何より阿弥陀様・菩薩様に迎えられ、西方浄土への希望が湧いて、死生観が変わるような気がしました。


薬師堂

薬師堂(本堂)

薬師堂(本堂)〔国指定重要文化財〕は、 浄土堂とほぼ同形同大の建物で、池を挟んで浄土堂と相対しています。この配置は、東方浄瑠璃世界の教主・薬師如来と西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来の居所を意味しているといわれています。

もとは浄土堂と同様に、重源上人によって建立され、天竺様の堂々とした建物でしたが、明応7年(1498年)に焼失し、その後、1517年に再建されたのが現在の建物で、和様や唐様の手法が混じり、天竺様の建て方の純粋性が薄まってしまったのだそうです。

なお、本尊は広渡廃寺のものを移したとされています。


開山堂

開山堂

開山堂〔県指定文化財〕は、浄土寺の開基である重源上人の坐像を安置するための堂で、1498年に薬師堂とともに焼失し、1520年に再建されたといいます。

治承4年(1180年)、平重衡の軍勢による南都焼き討ちで、東大寺、興福寺は壊滅的な打撃を受け、東大寺の大仏殿も焼け落ちました。
この大仏・大仏殿再興の大勧進(総責任者)となったのが、当時61歳の重源上人でした。

重源上人は全国に7か所の大仏再興事業の拠点を設けましたが、そのひとつがこの浄土寺なのだそうです。重源上人は、早くから宋文化を学び、建築・工芸などにも精通していたようです。

開山堂は、和みを感じさせる小ぢんまりとした建物で、いつまでも傍らに佇んでいたくなるような不思議な魅力がありました。


鐘楼

鐘楼

鐘楼〔県指定文化財〕は、寛永9年(1632年)に再建されたもので、入母屋造り・檜皮葺き・袴腰付き(スカートのように板がはってある)で、上層部には高欄を廻らせてあります。

和様を基調とし、部分的に唐様を混合した技法で造られているとかですが、木組みが凝っているのには、思わず見とれてしまいました。


浄土寺所在地:兵庫県小野市浄谷町2094
駐車場:あり
浄土堂内拝観料:500円
拝観時間
4月~9月末:午前9時~正午,午後1時~5時
10月~3月末:午前9時~正午,午後1時~4時

※12月31日・1月1日は堂内拝観できません。


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