三日月藩の陣屋跡に行きました

播磨三日月藩は、1697年(元禄10年)津山藩森家(現岡山県津山市)が改易になり、その分家である森長俊が播磨国佐用郡、揖西郡、宍粟郡65ヶ村1万5千石に移封されたことに始まります。

長俊は、1698年(元禄11年)から1700年(元禄13年)にかけて、乃井野の地に藩庁の陣屋を造り、さらに道路や屋敷を整備して家臣たちの屋敷も造ったそうです。(陣屋は、城を持てない大名が藩政を執り行うために建てた藩主屋敷)

三日月藩乃井野陣屋館

この陣屋は、以後、森家9代にわたって藩主の起居する場所として、また三日月藩の藩政の中心として機能していましたが、1871年(明治4年)の廃藩置県により、藩庁としての役目を終え解体されたといいます。(物見櫓と長屋は小学校の建物として移築され、その後、物見櫓は公民館として再び移築されて使用された)

現在は、陣屋正面の3つの門・2つの橋・長屋と町内に現存していた物見櫓を移築して復元しています。また、東南に少し離れた場所に表門も復元しています。

長屋門

長屋門
物見櫓

物見櫓

土・日・祝(年末年始を除く)の10時から16時までなら、西端の門(長屋門)から入って長屋や物見櫓を見学できるようです。(入場無料)

物見櫓は、旧陣屋で現存する唯一の建築遺構で、三日月藩の創建当初には無かったが、1700年代の後半には建立されていたそうです。

中御門

中御門
通用御門

通用御門

中御門は藩主が通るときだけ開閉して、藩臣などは横にある潜り戸を通っていたとかです。当時は門の向こう側に立派な藩主屋敷があったのでしょう (藩主屋敷は未復元)。

長屋内の展示物

長屋内の展示物
物見櫓の内部(2階)

物見櫓の内部(2階)

櫓は、敵の襲来を見知したり、矢を射たりして防御性をを高める軍事目的の建物だそうですが、この物見櫓は、書院的な造りで、藩の接待などに使われ、江戸後半期の平和な時代の性格が良く現れているといいます。

表門(外側)

表門(外側)
表門(内側)

表門(内側)

表門は、大手にあたる道を仕切る大手門としての役割を持っていたもので、1774年(安永3年)の再建当時からの改変が少なく、当初の姿や材料がそのまま残っているのだそうです。
明治になって三日月藩の施設などが払い下げられてから西法寺(現たつの市)の山門として使われていたものが、平成29年度に百数十年ぶりに故地へ移築復元されたのだとか。

陣屋館の近くにありました

廣業館

廣業館
列祖神社

列祖神社
庭園跡

庭園跡

廣業館は、三日月藩の藩校として開かれ、明治~昭和にかけて小学校として使用された建物で、後に保存のため、ここに移築されたといいます。

列祖神社は、江戸藩邸で森家先祖を祀っていたものを、明治初期に移して神社としたもののよう。

庭園跡は、築山式の枯山水庭園で、陣屋に関係するものらしい。


<陣屋館の所在地>
兵庫県佐用郡佐用町乃井野966番地

タイトルとURLをコピーしました