吹屋ふるさと村に行きました

吹屋ふるさと村

吹屋ふるさと村は、現在の岡山県高梁市成羽町の吹屋・坂本・中野地区にあります。

この地区は、江戸時代中期頃より、吹屋銅山を中心とする鉱山町へと発展し、幕末頃から明治時代にかけては、銅鉱とともにベンガラの日本唯一の巨大産地として繁栄を極めたのだそうです。

しかし、全国で初めてベンガラが吹屋で生産されて以来260年余りにわたり一世を風靡したベンガラ産業も、昭和47年の銅山の閉山に続いて昭和49年に幕を閉じました。

この地区には当時の伝統的な建物などが多数残り、1974年(昭和49年)に岡山県の「ふるさと村」に指定されています。

ベンガラ(弁柄)とは、酸化第二鉄(Fe23)を主成分とする赤色の無機顔料で、銅山の捨石である磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)から偶然発見されたといわれています。

吹屋の町並み

吹屋の町並み

吹屋の町並み

吹屋は、江戸から明治にかけて銅山として発展し、さらに良質なベンガラの製造で繁栄したといわれます。

そして、吹屋の長者達が後世に残した見事な町並みは、赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一され、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているそうです。

標高550mの山間に忽然と現れる町並みは、レトロな雰囲気を醸す不思議な異空間のようでした。

旧片山家住宅(本片山)

旧片山家住宅(本片山)

郷土館(角片山)

郷土館(角片山)

郵便局

郵便局

旧片山家は、宝暦9年(1759)の操業以来、220年余りにわたって、ベンガラ製造と販売を手がけた老舗で、その家屋はベンガラ窯元としての店構えを残す主屋とともにベンガラ製造に関わる付属屋が立ち並び「近世ベンガラ商家の典型」として評価され、平成18年(2006)に国の重要文化財に指定されたそうです。

郷土館の建物は、本片山の総支配人であった片山嘉吉が、わざわざ石州の宮大工を呼び寄せ5年の歳月をかけて明治12年(1879)に完成させた家屋で、土台と外回りには栗の角材を用い、縁敷居は桜の巨材を使い、書院まわりは生漆とベンガラで塗りあげられているそうです。

他の建物もそれぞれに由緒があり、伝統的建造物として大切に修理・保存されているようでした。郵便局は前のポストが「書状集箱」となっていて、オシャレでした。

ベンガラ館

ベンガラ館

ベンガラ館

焙烙に盛ったローハ(ベンガラの原料)

ローハ(ベンガラの原料)

脱酸水槽

脱酸水槽

このベンガラ館は、明治の頃のベンガラ工場の建物と製造用器具を復元したものだそうで、音声による説明も流れ、順路に従って工場内の建物を廻ればベンガラの製造工程が解るようにしてありました。往時、この谷合いにはベンガラ工場が4か所あったそうです。

笹畝坑道

笹畝坑道

笹畝坑道

坑道入口

坑道入口

坑内の人形

坑内の人形

笹畝坑道は、江戸時代から大正時代まで黄銅鉱・硫化鉄鉱を採掘していた坑道で、昭和53年に復元し、坑内を見学できるようにしたものだそうです。

坑道の高さが低い場所があるとかで、入り口でヘルメットを貸りられるようになっていました

広兼邸

広兼邸

広兼邸

広兼邸は、江戸時代後期に小泉銅山とローハ(緑礬=ベンガラの原料)製造を営み巨大な財を成した大野呂の庄屋広兼家2代目の元治が建てた邸宅だそうです。

城郭のような雄大な石垣と母屋・土蔵3棟・楼門・長屋は江戸時代(1810年)に、離れは大正時代に建設されたもので、敷地は781坪(2,581m2)、母屋は98坪(323m2)に及ぶといいます。

広兼邸は、渥美清が金田一耕助を演じた1977年の松竹映画「八つ墓村」のロケ地としても知られています。

広兼邸の説明板

広兼邸の説明板

庭園

庭園

水琴窟の向こうは客間です

水琴窟の向こうは客間です

台所

台所

石垣と楼門

石垣と楼門

遠景

遠景

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